セイシェルの思い出

408
実家を整理していたら古い写真集が出てきた。
もう大分昔だが、私はこの写真に載っている景色に憧れてセイシェルまで飛んで行って1年住んだことがある。
409
写真集には見た事のない美しい海が載っていて、「地上の楽園」というキャッチコピーとの相乗効果で、「ぜひ行かなくては!」と居ても立ってもいられなくなってしまったのである。
410
たまたま見付けたセイシェル観光ガイドに載っていた日本料理の店に電話を掛けて、「滞在したいので住み込みさせてください。」と頼んだ。
今もし、セルビアで私がそんな電話を受けたら物凄く不審に感じるだろうが、セイシェルの日本レストランのオーナーは快く受け入れてくれた。
もう亡くなってしまったが、とても感謝している。
406
セイシェルへは、シンガポールからエア・セイシェルという飛行機が飛んでいた。
小豆島くらいの面積で現地人が「点! 地図では点なのよ!」と言っていた。
赤道から5度下で年中夏だが心配するほど暑くはなかった。
現地人は黒人でセシルワと言う。 言語はブロークンフレンチと呼ばれるクレオール語。
名前はマリアリスだとかマーガレット、ダニエルなどフランス領らしい名前だった。
因みに私はマーガレットに水着を借りパクされた。
411
当時住んでいた日本人は8人で、中にはセイシェル人と結婚して移住している女性もいた。
オーナーの話しでは、この女性の旦那は日本人専用のスパイで嫁を除いてたった7人しか居ない日本人を監視するというアホらしい仕事に就いているらしい。
セイシェルに着いて間無しにオーナーから、「こんな所まで流れてくる日本人は、腹に一物持っている者ばかりだから気を付けるように。」と言われた。
これは本人も私も含むということなのだろうが、この言葉は今でも教訓になっている。
412
庭に埋まっていた貝。 ビーチは珊瑚だらけだった。
それにしても不思議だったのは、写真集に載っている景色と現地は何か大分違っていたことだ。
407
帰国して写真集を見直していたら、最後のページに小さく「ほとんどはモルディブの写真」と書いてあった。
なんだ、勘違いしてセイシェルまで行ってしまったよ! (てか、まず沖縄に行けばよかったよ・・)